top of page

体験記

「過去の私と今の私と娘のこと ~前編~」

ペンネーム: F.R

 

私が障害者になるキッカケやその後、娘との生活などを振り返ってみたいと思います。
私が娘を産んだのは 2000 年 8 月です。
未婚の母でしたので、母子寮で過ごしていました。
仕事は保育園や母子寮に娘を預けフルタイムで働いての生活でした。


娘はとても活発で元気な女の子で見た目も普通の女の子です。
でも言うことを聞かない女の子でもありました。
なのでお出かけの時はいつも迷子紐を付けていました。そうしないとすぐ何処かへ行ってしまうからです。
保育園でも先生の言うことは聞かずお散歩の時間でも滑り台やブランコで遊んでいる子で、
教室にいてもすぐ外に飛び出してよく行方不明になっていました。
最初は「おてんばな子」で済ませていましたが、年長になっても相変わらず団体行動ができない、言われたことを忘れる、読み書きができないなど他の子より「できないこと」が目立ってきて私も焦りなどで娘にきつく当たる事もありました。
生活の面でも仕事をしなければ生活ができない、休めない、娘が全然言うことを聞かない、おねしょが治らない、全ての家事まで手が回らないなど体力と精神面はいっぱいいっぱいでした。
そんな生活が続き娘も小学生になったのですが、一学期で何度か学校に呼び出されました。
「○○さん(娘)が授業中雨が降っているのに校庭で遊んでしまう」「忘れ物が多い」「他の子の授業の邪魔をしてしまう」「黙っていられない」など色々言われました。
そして、学校側から「一度児童相談所へ相談してみては?」と言われました。
数日後、児童相談所で色々と相談や検査をして娘は「ADHD」「軽度の知的障害」と診断されました。
これまでの娘の行動とADHD の性質がしっくりきてほっとしたと同時にどうにかしなければと張り詰めていたものや日々のストレスなどが原因で寝込んでしまいました。
数日後何とか体調も良くなり仕事に向かいましたが、仕事先の近くで気分が悪くなり座り込んでしまいました。
しばらく休んでも良くならずその日は仕事を休みました。......が、このような事が数日続き仕事に行けなくなり退職しました。
退職後は精神的に娘と向き合う余裕がなくなり娘を障害と関係なく𠮟りつけたり手をあげたりしてしまい後悔や罪悪感で娘の顔が見られなくなり母子寮に預けっぱなしになっていました。
仕事も行けなくなり育児もできず家事も食事もできなくなった私は初めて自傷行為をしました。手首から肘辺りまで隙間なく剃刀で切り刻みました。

初めは痛いと感じたのかと思いますが、時間や日にちが経つにつれて痛みは感じなくなっていました。
私は「死にたい」と思ったことはないですが自傷行為は止められなかったです。
自傷行為をしている時は流れ落ちていく血を見て「私は生きているんだ」と感じていました。生きていることを実感するために自傷行為をしていました。
でも、娘という現実を突きつけられると全て抱え込めなくなり衝動的に OD をしてしまい緊急で病院へ連れて行かれそのまま入院になりました。
そんなこともあり私は育児をできる状態ではないと判断され娘は児童養護施設に預けられ娘のいなくなった私は母子寮を退寮しました。


その後すぐ住めるワンルームのアパートへ引っ越し娘の居ない生活がスタートしましたが娘に対して罪悪感がすごく眠れない日々もスタートしました。
数ヶ月の間病院へも通えずしばらくは、自分の病名も知りませんでした。


ただ私はこの頃の記憶があまりありません。
娘への罪悪感と何もできない自分が情けなく落ち込んだ日々を送っていたと思います。


このアパートには 2 年ほど住んでいましたが、下の階の住人に嫌がらせを受け引っ越ししました。


次に引っ越したのは市役所近くの間取りが多いアパートでした。
間取りが多いアパートにしたのは「いつか娘と暮らせるように」と思っていたからです。
これまで娘への罪悪感で面会もほとんど行くことができなかったのですが、月一で行くように心がけました。
娘と向き合える母親になりたいと思っていました。
病院も積極的に通うようになり、外出も多くできるようになった頃病院の先生に相談もせず私はパートでなら働けると思って働きだしました。
半年ほど働いていましたが突然家から出られない日がきました。
どんなに頑張っても玄関のドアが開けられないのです。
そして今まで気にならなかった郵便のバイクの音や家の前を誰かが通る足音に恐怖を感じるようになりました。
パートは辞める事になりまた引きこもりの生活が始まりました。
一ヶ月ほど通路から離れた一番奥の部屋で過ごしていましたが上手くいかない人生みたい
なものに嫌気がさしてまた自傷行為をしている日々でした。
そしてまた衝動的に OD をして日赤と精神科の病院へ数ヶ月入院しました。
私が勝手に良くなったと判断して働きだしてまたスタートラインに戻る事をしてしまい後悔しました。
娘と住むにはまだまだ不安定でいくら間取りの多いアパートに住んでも私がこんな事ではダメだと思い「ちゃんと病気に向き合わないと」と思った頃でした。


私は心を入れ替え病院に通いはじめましたが、今度は薬の問題がでてきました。
薬がどんなに調節しても自分に合わないのです。
毎回薬を試すだけに病院に行っていたような気がします。
薬の副作用の「幻覚」で大蛇が部屋を通過していたり、天井から大きな蜘蛛が目の前に落ちてきたり、誰もいない部屋なのに頭上から誰かに覗き込まれたり、刃物を持っている人が台所に立っている事もありました。
一番怖かったのはその当時苦手で病院の方から私に近づかないよう言ってもらっていた人が家の裏に潜んでいると思って奥の部屋に近づく事も出来なかったことです。
家にいても恐怖しか感じなく外に出たら待ち伏せされると思っていたのでまた外に出られない日々が続きました。
娘の面会に行くこともできてないので、娘担当の子育て支援課の方が家へ来た時に私の症状に気付いて下さり私が幻覚のことを話すと優しく「大丈夫。誰も居ないから一緒に確かめてみよ?」と奥の部屋に連れて行かれ恐る恐る部屋に入りました。そこには何もなく締め切ったカーテンで薄暗い部屋があるだけでした。
久しぶりにカーテンを開けて窓を開けても優しい春風が吹き込むだけで誰もそこには居なかったのです。
薬で幻覚を見て最初は面白いと思っていましたが次第に心の奥まで操作されていたような気がします。


私は薬で症状が良くなると思っていましたが、効かないからと次から次へと薬を試すような使い方は間違っていると思い極力最低限の薬の処方だけにしてもらいました。


娘への面会も定期的に行けるようになりもしかしたら一緒に暮らせるのではと思っていましたが、今度は娘の方に問題が発生したのです。


この後も色々と問題が続いていくのですが、今回はここまでで終わろうと思います。
続きは読みたい方や気になる方がいましたら書こうと思います(笑)


ここまで読んで頂きありがとうございました。

福井 リエ子さん(アイコン).jpg
bottom of page